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12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1971-03-25 第65回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第3号

また、津島遺跡につきまして、野球のスタンドの増設につきましては、われわれとしては遺跡というものをあくまでも維持するということでございますけれども、スタンドがこわれて人身に支障があるというようなことでは困るわけでありますから、この遺跡を破壊しないで、最小限にこの遺跡に触れるようにして、そうして人命に支障のないようなことでスタンドはある程度認めざるを得ない。

安達健二

1970-09-08 第63回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号

安達説明員 御指摘のございました津島遺跡武道館建設工事につきましては、たびたびの発掘調査の結果、この地域弥生時代前期前半水田あとあるいは住居あとであるということで重要であるということで、文化財保護審議会におきましては、この武道館建設予定地を含む地域五万六千三百七十平方メートルを史跡に指定するという旨の諮問に対する答申がございまして、その指定の手続をいたしておるわけでございますが、実はこの

安達健二

1970-07-10 第63回国会 参議院 文教委員会 閉会後第1号

というのは、津島遺跡の問題でも、私、弁護するわけじゃございませんが、誤ってパイルを打ちまして非常に深く掘ったために、けしからぬことをしたと私ら思うんですが、そのけしからぬことがはからずも地下数十メートルのところに遺跡が見つかったというような問題もございまして、掘っても何メートル下に何があるかというのは実はわからないので、偶然にもそういうようなあやまちがまた功名をもたらしたという事実もございまして、開発

今日出海

1970-02-24 第63回国会 参議院 文教委員会 第2号

また、岡山県においては、歴史公園として計画中の吉備路風土記の丘、津島遺跡、高松農業高等学校青少年教育センターであり文化財でもある閑谷学校等を視察いたしました。  なお、岡山県では県北部僻地学校を視察する予定でいたところ、二、三日前の降雪により交通困難となりやむなく中止し、日程を変更いたしました。  まず、香川県から申し上げます。  県においては、金子知事はじめ多数の県当局者と懇談いたしました。

安永英雄

1969-08-05 第61回国会 衆議院 文教委員会 第36号

第一一八七一号)  同外二件(楢崎弥之助紹介)(第一一八七二  号)  同(長谷川正三紹介)(第一一八七三号)  同外一件(原茂紹介)(第一一八七四号)  同外一件(帆足計紹介)(第一一八七五号)  同(穗積七郎紹介)(第一一八七六号)  同外一件(米田東吾紹介)(第一一八七七  号)  山村へき地医療対策として医学専門学校設置  に関する請願(金子一平紹介)(第一一七二  七号)  岡山津島遺跡

会議録情報

1969-07-08 第61回国会 参議院 文教委員会 第22号

そのほかにもまだ、これは宮地さんの受け持ちじゃないけれども、坂田文部大臣受け持ちであることは間違いないのですが、津島遺跡の問題のことなんか、もうこういうことはよく御存じですから言いませんが、なかなかまずいことがあるのですよ、いろいろ。だから、そういうこともあるのですから、県教委といえども、これは万能じゃない、また万全じゃないのですよ。

秋山長造

1969-06-24 第61回国会 参議院 文教委員会 第18号

政府委員今日出海君) この津島遺跡の問題は、大学対知事というような問題や、いろいろまた地方的な問題がございまして、やや世間の評判というものは核心からそれているように思いまして、私は当初からこの問題は、小林委員にも申し上げたように、ただ核心だけをつかみたいということが当初からの念願でございました。

今日出海

1969-06-24 第61回国会 参議院 文教委員会 第18号

     宮地  茂君        文化庁長官    今 日出海君        文化庁次長    安達 健二君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        厚生省児童家庭        局母子福祉課長  岩佐キクイ君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○教育、文化及び学術に関する調査  (岡山津島遺跡

会議録情報

1968-10-04 第59回国会 衆議院 文教委員会 第5号

安達説明員 五月二十日に、県の課長から記念物課課長補佐に対しまして、埋蔵文化財緊急調査国庫補助金の交付について要望があった、こういうことでございまして、それが津島遺跡と直接関連があるかどうかについては、よく聞いてみましたけれども、若干どうもその辺のところは、あるいははっきりしていなかったけれども、とにかく二十日の日に電話があったことは事実でございます。

安達健二

1968-10-04 第59回国会 衆議院 文教委員会 第5号

和島参考人 ただいま杉原教授が申されたとおりでございますが、一口に申しますと、遺跡はそれぞれみんな人間が顔つきが違うように個性がございまして、津島遺跡登呂遺跡と比較いたしますと、登呂遺跡は国の特別史跡になっておりますが、そのゆえんは、あそこでは弥生式の後期の集落と、それからその生産の場である水田がまとまって調査もでき、保存できる。そういう遺跡は日本でただ一つしかいままでございませんでした。

和島誠一

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